​詩歌 / SHIIKA

其の六〜感動〜

僕はよく本屋に立ち寄る。待ち合わせまでの時間や、ちょっとした空き時間があると必ず本屋を探してしまう。もちろん本が好きな事もあるが、どうやら本を選ぶのが好きなようだ。
店にずらっと並んでいる中からよい本を探す作業、これがなんとも楽しいんだ。初めて入る本屋なんか特にワクワクする。
タイトルや裏の簡単なストーリー、序章などで自分が探してる本を見つけ出す。最初、序章だけを読むつもりが最後まで読んでしまって閉店まぎわまでいる事もよくある。
たまに「これだっ!」と思って買って読み始めると、失敗した事に気づく事もある。そうゆう時も一応最後まで読むが、やっぱりといったパターンが多い。完読する時間も比べものにならない程長くなってしまう。
 なぜ本が好きなのか?なぜ本を読むのか?それは人それぞれだが、以前何かの本に書いてあったのだが
‘読書は空腹を癒す為じゃなく、空腹に気づく事にある。’
多少言葉は違うがこのような意味だったと思う。その通りだと思った。
でも僕の場合は少し違うんだ。どう違うのか?簡単な事、感動したいからなんだ。
感動を求めて探している。それを基準に本を選び買って読んでいるんだ。
でも、それは別に本じゃなくても構わないんだ。テレビでも映画でも音楽でも、絵や詩でも。そこらへんに咲いている名も無い花だって...。
これはもう性格とゆうか性分なんだと思う。感動したいとゆう。
本当は、日々の暮らしの中で感じられればいいのだが、なかなか出来なくてどうしても非日常的なもので埋めてしまう。
 でも本当の感動って何なんだろう?
本を読んで素晴らしいと思った、涙を流した。ただそれだけの事なんだろうか?それが感動なんだろうか?
確かにそれは素晴らしい感情だと思う。感動できる心を失ってはいないのだから。
でもそれだけじゃあまりに虚しいとは思わないか?
本を読み、素晴らしいと思い、涙が溢れてくる。そして勇気が与えられ明日への希望が湧いてくる。そしてもう一歩踏み込んで自ら行動する。与えられた勇気を力に変えて。
それが本当の感動なんじゃないだろうか?
 感動を探し出すなんて間違っているのかもしれない。日常の何気ないふとした事に感じなければ偽善かもしれない。いやらしいと思うかもしれない。
でも僕は、モノを創り出す創り手として、いつも空腹である事に気づかなければいけないと思ってるんだ。
 感動を与える事は、感動する事よりも難しい。まず自分がそれに感動しなければならない。そこから全てが始まるんだ。
例えば、素晴らしい歌をつくるとする。それを誰かに聞かせて、いい歌だと言ってくれた。感動したと言って涙まで流してくれた。
でもそれだけじゃダメなんだ。嫌なんだ。満足できないんだ。
 感動とは勇気なんだ。力なんだ。その瞬間から変わらなければならないんだ。その人の心を動かし善に導くのもなんだ。
 難しい。本当に難しいよ。一生出来ないかもしれない。
でも、それが出来た時、僕は本当の最高の感動を感じられる事が出来るのかもしれない。


 

「感動」とは、感じて動く事だけど、動かないと感じない
何もしないで待ってるだけじゃ、感じるどころか
感じる心さえ失ってしまうよ